Ending Greece’s Bleeding

Ending Greece’s Bleeding  (Nobel laureate http://nyti.ms/1UrAHD5)

ギリシャ国民は債権者の要求を拒絶する政府を強く支持した。

EU側は"yes"の投票結果にならないとギリシャは銀行融資が止められ、カオスの状況に陥ると「脅しをかけ」現在の左派政権を追いだそうとしてきた。しかし、これは民主主義の原則を掲げるヨーロッパにとっての「恥ずべき行為」であったのだ。もしも、そのようなことになっていたら、たとえ債権者側に理があっととしても、恐ろしき前例を作ることに陥っていたのだ。

実際にはヨーロッパの自称テクノクラート(高級技術官僚)たちは、中世の医師のようなもので患者に血を流す(血抜きする)ことを強い、より患者の病状を重くし、そうなったらまた血を流させるようなことをしている。もしも、Yesだったなら「解けない算数問題を与えられた」ようなもので、決して機能しない政策のもとに苦しめられつづける状況になっていたのだ。そのときに課される緊縮財政は、負債を縮小する以上の速さで経済を縮小させ、結果として何らの目標を持たない苦しみだけを残すものとなった。"no"の地滑り的な勝利は、少なくもこの窮地に陥ることからは「逃れ」られたのだ。

さて、この「逃れ」をどう持っていけばいいだろうか?ギリシャユーロに残る道はあるのだろうか?また、それは望ましいことなのだろうか?

喫緊の問題はギリシャの銀行だ。国民投票の前からECU(ヨーロッパ中央銀行)は銀行融資を止めていたのでギリシャ政府は銀行を閉鎖し資本操作を停止をさせられてきた。今、中央銀行は最終的な決断に直面している。もしも、お金の融資を通常に再開したなら、今までの融資の停止政策は単なる政治行為だったことになってしまう。しかし、お金がギリシャに流れないならばギリシャは新しい通貨を導入する道しかない。

特にフランクフルトから金が出ないならギリシャは「平行通貨となるもの」によって賃金と年金を支払い始める以外の手はない。この通貨は「新ドラクマ」となるものである。

もしも、ECUが融資を再開したなら銀行危機は一時的に遠のくが、それはどのようにして経済成長を再構築するかの疑問を残すものとなるのだ。

今回の国民投票は、結局のところギリシャの恒久的な負債の解消をどうするかが問題なのだ、経済にのしかかった思い雲をどう取り払うかなのだ。

今はギリシャの取る手は「悪い選択肢の中の一番いい選択肢である」ユーロからの離脱しかないと私は考える。

もしも、ギリシャがユーロを採用していなかったらと考えてみよう。その時は当然ユーロに対してのドラクマの価値を単に設定するだけで終わる。つまり、平価の切り下げを行うだけだ。ドラクマの価値が下がれば輸出が増えデフレのスパイラルを断ち切るだけ下げるだけだ。

しかし、今ギリシャは自国通貨を持たない。多くのアナリストはユーロから出ることは不可能だと言っている。それは、銀行の大危機(大規模の破綻)と金融恐慌をもたらすからだ。しかし、冷静に考えよう。既に金融危機は今の状況がそうなっている。ユーロ離脱の大きなコストは既に支払っているのだ。出て行かない選択肢の益はどこにある?

2008年〜09年にかけてのアイスランドの危機を通貨の切り下げでみごとに成功に導いた。2001年〜02年のアルゼンチンのデフォルトの例もある。
既にギリシャへの大規模な経済支援というのは期待できない状況になっているのだ。取るべき手はユーロを離脱し終わりのない悪夢のような経済状況から抜け出ることだ。

明確にしておこう。ギリシャがユーロを離れたとしてもそれはギリシャが悪いヨーロッパの国であることを意味するものではない。ギリシャの負債問題は、責任感のない借り手が、同じく責任感ない貸し手から借りていたことなのだ。ギリシャは彼らの犯した「罪」をこれまで何度も支払ってきているのだ。もしも、ギリシャがヨーロッパの共通通貨体制から離脱出来ないとなると、それは共通通貨経済危機に陥った国に対して休息を与えることが無いことになってしまう。今大事なことはこの出血状況をどんな手を打ってでも終わらせることなのだ。